場面緘黙

場面緘黙カテゴリ、9か月更新無し。それは「緘黙」と距離を置きたかったから。

本日、過去に書いた緘黙体験記の記事タイトルを修正する作業を行いました。それはSEO対策のため…なんて話は置いておくとして、気が付いたことがあります。

タイトルにもあるように、場面緘黙カテゴリの記事の最終投稿が2016年2月14日、つまり9か月も前だったのです。

緘黙カテゴリを作った理由

当ブログは2013年に開始したのですが、最初から緘黙について書いていたわけではなく、2015年になってから書き始めました。

場面緘黙の存在を多くの人に知ってもらいたい。

そう思って場面緘黙カテゴリを作成し、幼稚園時代から大学時代までを振り返る記事などを投稿しました。当カテゴリの記事は今まで3,000回以上読まれており、全員ではないにしろ、緘黙に興味のある方に参考としてもらえたのではないかと思います。

また、管理人プロフィールに元・場面緘黙というワードを入れていたため、緘黙とは全く関係のない記事を読んだ人にも「緘黙」というものが存在することをアピール(←適当な言葉が見つかりませんでした)できたかもしれません。

「書くこと」のメリット・デメリット

このようにブログで自身の経験を綴ることによって、いち当事者の考えなどを知ってもらえたり、緘黙そのものの存在を知ってもらえたりできたのは、とても良かったと思います。

また、より個人的な利点としては、過去の体験を現在の自分がある意味「物語化」することによって、長い間自身の中で負の感情を伴いモヤモヤとしていた「緘黙の記憶」を客観視することができました。

当時の出来事を全て記述できたわけではありませんが、書くことによって非常にスッキリしました。誰かに心の内を明かして安心したような、そんな気持ちにもなりました。さらに言えば、過去を過去として完全に割り切る……とまではいかないものの、現在の自分から少し切り離せたようにも思えます。

ところが、良いことばかりではありません。

どういうことかというと、過去の体験を書くとき、その時の状況を思い出しながら書くことになりますが、それはいわば「緘黙の追体験」でもあるわけです。当時の嫌な記憶がよみがえり、ムカムカとしたり落ち込んだりしました。

そんな中でも記事を書くことができたのは、先述のようなメリットがあったからです。書いている最中には苦しみが生じるものの、書き終えてしまえばスッキリする。一連の記事を書いている時は、この繰り返しでした。

書きたいと思えなくなった

では、なぜ緘黙のことを書かなくなったのか。書くことで癒されるなら、書けばいいじゃないか。そう思われるかもしれません。

僕が当カテゴリを更新しなくなったきっかけ、それは睡眠中に小中高時代の夢をよく見るようになったことです。いや、子どもの頃の夢は以前からよく見ているのですが、内容の傾向に変化が見られました。そう、学校で喋れない場面の夢が非常に多くなったのです。

夢の中とはいえ、時には喋れないことに対してひどいことを言われ、泣きながら目を覚ますこともありました。もうアラサーなのに。まあ年齢は関係ないにしろ、朝っぱらから気が滅入ることが多くなったんですね。

そのような夢を多く見るようになったのは、たまたまなのかもしれません。偶然、緘黙の記事を書いていた時期と被っただけなのかもしれません。

しかし、ざっくりとではあるものの、緘黙の記憶を文章化して割かし満足できたことも重なり、「しばらくは緘黙のことはいいかな」と思ってしまったのです。

あるまじき態度だとは自覚しています。場面緘黙のことを広く知ってもらいたい、そう思って記事を書き始めたのですから。でも、どうしても書くつもりにはなれなかったのです。

今後は書いていきます

記事執筆に気が進まない日々が続いていましたが、最近、再び「書こうかな」という気持ちになってきました。特にきっかけがあったわけではありませんけどね。

場面緘黙のことを多くの人に知ってもらえるよう、再スタートと言いますか、またやっていきたいと思います。