場面緘黙で良かったこと?

以前、ツイッターで「#場面緘黙症で良かったこと」を見かけたことがありました。

どういうわけか、ふとそのことを思い出したので、もし自分が「場面緘黙で良かったことは?」と尋ねられたらどう答えるか考えてみました。

良かったこと……良かったこと……

やはり喋れないということで、失言をして怒らせた記憶はないですね。

「口は災いの元」とか言いますが、そもそも自由に喋ることができないため不用意な発言による災いを招きません。

もっとも、幸福も招きませんけどね。黙っているだけでそういったものを呼び寄せるのは招き猫くらいでしょう。僕も招き猫なら愛されたかもしれない。

(深夜のテンションでお送りしています)

話を戻しますが、小学生の時、頭に浮かんだ言葉が口から出てこないことがありました。しかし、それはそれで良かった、と当時は思いました。なぜなら、その言葉はいわゆる「地雷」だったからです。あいにく他の人が踏んでいました。

僕は相手が触れてほしくないことを口に出さずに済んだのです。

このように失言的なもので他人を怒らせることがなかった点は、良かったのかもしれません。

おそらく、「場面緘黙で良かったことは?」と聞かれたらこう答えるでしょう。

しかし、それは建前です。

何らかの答えを欲していると察した時の表向きの回答です。

本音で回答してよいのであれば、こう答えるでしょう。

そのようなものはない!

はい、そのようなものはないのです。僕にとって「場面緘黙で良かった」などというものは存在しない。

上記のようなことだって「良かったことじゃないか?」と言ってくださる方もいるかもしれませんが、現在の僕にはとてもそのようには思えません。

そう思えることが良いとか悪いとか関係なく、未来の僕もきっとそう捉えられるようにはならないでしょう。

確かに今となっては場面緘黙の症状は和らぎました。しかし、場面緘黙への憎しみのようなものは消えていないように感じます。きっと良くないのに。どうにもならないのに。

時間は戻ってこない。

経験不足を感じます。対人関係面での圧倒的経験不足を。

もはや何もわからない。

もはや何もできる気がしない。

最終的にタイトルから離れてしまいましたが、これが今の本音。

(深夜のテンションによる駄文失礼いたしました)