精神的にツラくも緘黙の症状が和らいできた高校時代を振り返る

前回の【緘黙】同級生からの風当たりが強かった中学校時代を振り返るという記事に引き続き、今回は高校時代のことについて書いていきたいと思います。症状の改善を少しずつ実感したのがこの高校時代です。

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知人がほとんどいない環境

住んでいた場所からは遠めの高校だったこともあり、同じ中学校だった人は僕を含めて学年に3人だけでクラスもバラバラでした。つまり、クラス内に限れば僕が喋れないことを知っている人は誰もいないという状況です。

これは幸先がいいぞと思ったのですが、知っている人がいない環境に行けば緘黙が治るというわけではありません。高校1年生の時は中学校時代とほとんど変化がありませんでした。

しかし、中学校時代のように喋れないことを色々と言われるような回数はかなり減りました。必要最低限は話せていたので(1対1の挨拶は高1時はまだ出来ませんでしたが)大人しい・静かだと言われることはありましたが、「何か喋れよ」みたいなことは言われませんでした。

まあ中学生の時も必要最低限のことは喋れていたんですけどね。年齢のせい…といっても1歳しか変わらないので、そういう穏やかな人が集まる高校だったのかもしれません。

場面緘黙を自覚

周りから色々と言われるわけではありませんでしたが、思うように喋れないのは変わらなかったためかなり悩んでいました。「なんで喋れないんだろう?」、「言葉は浮かんで喉元まで来ているのになんで声に出せないんだろう?」と毎日悩んでいました。

そんな高校1年生のある日のこと。<学校 話せない>とネットで検索して知ったのです。場面緘黙というものの存在を。「これだ!」と思った僕は様々なサイトやブログを食い入るように見ました。

当時は既に2ちゃんねるに場面緘黙のスレがあったのでよくチェックしていました。書き込んだのは確か高2の終わり頃が初めてだったような気がします。自分と同じような人がいることを知り、コミュニケーションをとれるのが嬉しかったのです。

精神的にツラくて部活を辞める

“これをすれば確実に良くなる”という治療方法がないのが緘黙のツラいところ。場面緘黙の存在を知ったあとでも特に症状の程度に変化はありませんでした。

そのため学校では喋れなくて常に落ち込んでいるという状況で、家に帰ってきても「今日も喋れなかった…」、「なんで喋れないの?」という思いが何回も頭に浮かぶという状況が長い期間続いていました。

その結果、やはり学校に行くこと自体で精いっぱいになり、高校2年の4月に部活を辞めることにしました。前回の記事では書いていませんでしたが、中学校時代にも同じ理由で部活を1回辞めています。

そうそう、高3の時には疎外感や劣等感なども加わって早退や欠席が多くなりました。いわゆる”不登校”には至りませんでしたけどね。

初めての心療内科

さて、確か高校2年生の時だったと思いますが、話せないことで精神的に病んでしまい心療内科に行ったことがあります。自主的に行ったわけではなく、ヒステリックになった親に連れて行かれたという感じです。

診察の際には”家では喋れるのに学校などの外ではちゃんと喋れない”ということを訴えたものの、全く理解してもらえませんでした。医師の質問には答えられていたので”今喋れてるから問題ない”と言われ、真剣に聞いてもらえなかったのです。

何度も分かってもらおうと訴えても適当にあしらわれたため、僕も怒りがこみあげてきて少し表に出しました。といっても語気を強めたくらいですが、家族以外に対して怒りの感情をあらわにしたのはこの時が初めてで最後かもしれません。

まあ結局その日は精神を安定させる薬の処方とカウンセリングを受けることになりました。が、薬を飲むと常に頭がぼーっとするような感じになったり、カウンセリングしても無駄だと感じたりしたため通院を続けることはありませんでした。

色々なことをやってみた

病院には通い続けませんでしたが、喋れるようになりたいという気持ちは強くありました。当時は頭の中というか喉のあたりというか胸のあたりというか、そのあたりが家を出ると変な感じになっていました(言語化が難しい)。

緘黙は極度の緊張が原因となっているという説をネットで見つけたため、緊張をほぐそうとして色々試してみました。

例えば、家を出るちょっと前から学校に着くまでずっと音楽を聴き続けるというのがひとつです。また、ハーブ系の飴を通学中や休み時間に舐めるようにしたりもしました。今思うと「なんだそれは?」という感じもするのですが、当時はこれでも必死だったのです。

また、イメージトレーニングもよくやっていました。学校の中で話している自分を想像していたのです。”話しかけてもらったけど上手く答えられなかった”という場面を思い出し、「○○と答えられたら良かったなあ」なんて考えていました。

ただこのイメトレに関しては意図的にしている時もそうでない時もありましたね。どういうことかというと、話せる自分が登場する空想(白昼夢?)を授業中にしてしまうことが結構な頻度であったのです。

話せるようになる訓練的な意図があった一方で、現実逃避をしてストレスから逃れようという本能が働いていたのかもしれません。

期待に応えられないツラさ

1年生の時もそうだったのですが、特に2年生の時にはたくさん話しかけてくれる同級生が数人いました。話しかけられても会話は2往復以上続けることは出来なかったし、固まってしまって何も言うことが出来ない時だってたくさんありました。

そんな僕の対応を見て話しかけてくれた人は悲しんだり、あるいは怒りの感情を持ったかもしれません。しかし、それでも何度も何度も話しかけてくれました。

だけども僕はやっぱり他の人のように話すことは出来ませんでした。話しかけてもらっても上手く喋ることが出来なかった時、本当に申し訳ない気持ちに毎回なりました。かといって、その気持ちを伝えることも出来ませんでした。

前回の記事で書いたように中学生時代は酷いことを言われてツラい気持ちになりました。しかし、高校生時代はたくさん話しかけてくれてるのに他の人のように喋ることが出来ず、みんなの期待に応えられないということがとてもツラかったのです。

良くはなったけど時間が足りなかった

上手く返せないことによるツラさはありましたが、周りの人が話しかけ続けてくれたおかげで緘黙の症状も着実に和らいでいきました。

2chは過去ログも転載禁止(になったんでしたっけ?)のためそのまま貼ることは出来ないのですが、2006年4月に場面緘黙症4というスレに次のような書き込みをしていました。

  • 学校から帰ってきて考えると喋れたかもと思う場面が多かった
  • 自己紹介で笑いも少し取れた
  • 去年から少しずつ治ってきた

高3の時にこのようなことを思っていたのですから、きっと症状が和らいできているという感触があったのでしょう。

実際、1対1で「おはよう!」や「またね!」という挨拶を交わせるようにもなりました。また、手を振られた時に振りかえすことも出来るようになりました。

読んでいて「え?そのレベル?」と思われる方もいることでしょう。はい、このレベルだったのです。ただ僕にとっては、手を振りかえした時にその相手(複数人)が喜んでくれたのは本当に嬉しい出来事でした。

こんな感じにだんだん良くはなってきたのですが、小学3・4年生の時のように思い通りに喋れるようにはなりませんでした。とはいえ、それでも高校入学時に比べたら雲泥の差です。質問に対して文章で答えるのも普通に出来るようになりましたからね。

そうそう、当時は「もう1年あれば良かったのに……」と思ったのを覚えています。もう少し時間があれば他の人と同じように喋れるようになるかもしれないと思ったのです。

しかしそれは叶わぬ夢。僕の高校生活は終わりました。

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場面緘黙の症状が大幅に改善した大学時代を振り返る

この記事を書いた人

エヌジマ

エヌジマ

三十路の唐変木。学校など特定の社会的状況で話せなくなる場面緘黙(ばめんかんもく)を過去に経験。現在も雑談は大の苦手で、時に緘黙の症状が出ることも。このブログでは自分の日常や「紹介したい!」と思ったものを中心にいろいろ書いています。