【緘黙】同級生からの風当たりが強かった中学校時代を振り返る

前回のまさにターニングポイント。緘黙が再発した小学校時代を振り返る。という記事に引き続き、今回は中学校時代のことについて書いていきたいと思います。もしかしたらこの時代が一番つらかったかもしれません。

出鼻をくじかれた登校初日

前回の記事の最後に書いたように「中学校では絶対に喋れるようになる!」という思いを持って入学式を迎えました。が、早速出鼻をくじかれてしまうことになったです。

登校初日、初めて会ったクラスメイトから話しかけられていたのですが、すぐ近くにいた別の同級生が「こいつ無口だから話しても無駄だよ。」ということを言いました。

そう、僕は公立の小学校から同じ学区の中学校へと進学したのです。そのため、小学校の同級生の大部分が同じ中学校に進学、つまり僕が喋れないことをよく知っている人たちが周りにたくさんいるという環境だったのです。

しかしまあ理想から言えば、「(意図的に喋らなかったわけではないけど)中学校では喋るようにするんだ。」とか「(これまた意図的に喋らなかったわけではないけど)無口キャラやめるんだ。」的なことを冗談っぽく笑いながら答えられたらよかったのかもしれませんが、そんなことは全く出来ませんでした。

単純に「やばい、どうしよう。」という感情でいっぱいで苦笑いしながら流すのが精いっぱいでした。結局このことがきっかけで(これが無くても同じだったかもしれませんが)小学生の時と同様に学校で喋れないという状況が卒業まで続きました。

そうそう、考えうる緘黙の対策のひとつとして”自分のことを知っている人が誰もいない環境へ移る”というものがありますが、それは僕のようなことを言われるリスクを回避することにもなるんですよね。

最も風当たりが強かった時代

学校で喋れないと言っても小学生の時と同じく”うん/ううんでの返答・単語での返答・声のない笑顔”は出来ました。

逆に出来ないことと言えば、1対1での挨拶、声を出して笑うこと、自分から会話を始めること、会話を2往復以上続けることが挙げられます。また、体が固まってしまい”うん/ううん”さえ言えなくなることもかなりありました。

中学生という時期もあってか、そんな僕に対する風当たりが(特に同性からの)強かったのを覚えています。今思うとこの時期はひどいことを一部の人から言われていたと思います。

  • なんで無口なの?
  • 家でもそんななの?
  • 「あ」って言ってみて
  • 生きてて楽しい?
  • (席替えで隣になり)毎日罰ゲームなんだけど?

こんなことをよく言われていたこともあり、学校に通うということそれだけで精いっぱいでしたね。そのため学校と自宅の往復を繰り返すだけの日々でした。

仲良くしてくれる友人もいた

とはいえ、学校では親切にしてくれたり仲良くしてくれたりする同級生も多くいました。何故僕なんかと仲良くしてくれたのか、これは未だに不思議に思っています。自分から話すわけでもないし話しかけても反応が物凄く薄い、僕はそういう人間だったからです。

小学校の時もそうでしたが、きっと僕は周囲の人に恵まれているのでしょうね。色々言われながらもいわゆる”不登校”にならなかったのは、元々規則を守ろうとする真面目な性格だったこともそうでしたが、そのような人達の存在が大きかったのかなあと今では思います。

1人の教師から標的(?)にされる

何年生の時だったかは忘れましたが、担任の先生から目を付けられていた経験があります。話しかけてもあまり反応が無かった僕が面白くなかったのでしょう。たびたび皆の前で”話さないこと”について今で言うところのイジリをされました。

場面緘黙というものの存在を知らなかったのか、僕が意図的に話さないようにしていると決め込んで色々と言ってきたのでたまったものではなかったです。教室も変な空気になるし……。

この先生は何か良い事をした生徒に”△△(先生の名字)券”と称した抽選券を渡し、年度末に抽選会(先生の自腹でお菓子などが当たる)を行っていたのですが、「○○君を喋らせたら△△券あげるよ」と嫌味っぽく皆に言うことがありました。

しかもしつこく何回も言うのでこれは本当に嫌でしたね。ただ、そう言われた僕は笑顔を作ることしか出来ませんでした。そうする自分も情けなくて嫌でしたが、僕にはそうすることしか出来なかったのです。

まあ結局なんやかんやで学年主任の先生から担任の先生へと注意が行き、そのようなことは言われなくなったので良かったのですが。

チャットにハマる

そうそう、確か1年生の頃だったと思います。ちょうど我が家ではネットの定額制に加入し、僕もネットをするようになりました。自分でサーバーの無料レンタルスペースを借り、サッカー関係のホームページを作ったりもしました。この時の経験がブログ作成時にも役立……話が逸れたので戻します(汗)

当時はチャットが流行っており、僕もまたその流れに乗って楽しんでいました。楽しむというレベルを超えて熱中あるいは依存症の一歩手前くらいまでいきましたね。学校から帰ってきたら即パソコンを起動してチャットをしていました。

何より同世代の人達と思い通りにコミュニケーションを取れるのがとても嬉しかったし楽しかったのです。顔が見えなくても構いません。自分と家族以外の誰かがコミュニケーションを取れているという事実だけで幸せだったのです。

僕の場合はパソコンで打つ文字でなら思い通りに言葉が出てきたため、チャットの参加者と冗談を言い合ったり、いわゆるボケやツッコミをしたりしながら楽しむことが出来ました。

あんなにもチャットにハマっていたのは、学校がつらかったため現実逃避的な意味合いがあったのかもしれないと今では思います。

意図的に共学高校を受験

中学3年生の時、僕は両親や学校の先生、塾の先生が薦める某男子校ではなく某共学高校を受験することにしました。

僕には「異性のいる高校の方が話せるようになるのではないか?」という考えがあったのです。それまでの経験上、何となくですが同性より異性の方が話しやすいと感じていました。

それは攻撃的・高圧的な人を苦手としていたことが要因かもしれません。上の方で紹介した「生きてて楽しい?」等の言葉は同性から言われることがずっと多かったのです。僕の周りの環境では、攻撃的な人は女性よりも男性の方に圧倒的に多かったのです。

上の「異性のいる~」は女性となら話せるというニュアンスが強いかもしれませんが、「男子校だと話せるようにならないどころかいじめられるのでは?」という恐怖心もありました。

結局、この受験時の判断は間違いではなかったと高校生活を送る中で思ったのですが、それはまた次回の記事で書きますね。

▼書きました
精神的にツラくも緘黙の症状が和らいできた高校時代を振り返る