【緘黙】園外では友人と話せていたかも?な幼稚園時代を振り返る

話したいのに話せない。場面緘黙(ばめんかんもく)って知っていますか?という記事で触れたように、今回は幼稚園入園から卒園するまでの時期について書いてみたいと思います。

20年以上前なのでそこまで多くのことは覚えていないのですが、印象に残っていることを主に綴っていきます。

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大泣きした入園式

これは曖昧にですが覚えています。僕は年中組からの入園で、4月に行われた式の時点では3歳でした。

その式では入園する児童と親が離れて座る形式で、知らない人が周りにたくさんいたせいなのか、あるいは慣れない場所だったからなのかは分かりませんが、始まる前から大泣きしてしまったのです。

結局、先生にあやしてもらったものの全く泣き止まず、保護者席で両親と一緒に式に参加しました。この頃からすでに不安感が強いタイプの子どもだったのかもしれません。

幼稚園での生活

両親や先生は入園式の様子を見て不安だったと思いますが、大きな問題なく幼稚園での集団生活を送ることが出来ました。実際、毎日の決まり文句、たとえば全員での挨拶やお弁当を食べる前のお祈りの言葉(カトリック系の幼稚園だった)なんかは声に出して行えていました。

大きな問題はありませんでしたが、小さな問題はありました。この当時からコミュニケーション手段は主に口ではなく首だったのです。

どういうことかというと、先生や同じクラスの子に何か話しかけられても首を縦に振ったり横に振ったりで答えることがほとんどだったのです。そのため、YES/NOで答えられないような時は固まってしまっていました。

そんな僕を見て先生はどう思ったのかは分かりません。単純に「大人しい子」、「恥ずかしがり屋な子」だと思って何も言わなかったのかもしれませんし、心配して僕の親に幼稚園での様子を伝えたのかもしれません。

20年以上前のことです。場面緘黙の知名度も決して今ほどではなかったでしょうし、仮に後者だったとしても家では決して話せない子ではなかったため、両親も先生も問題視しなかったんじゃないかなと思います。

さて、僕にとっての幼稚園の2年目、年長組になると「うん」、「ううん」という言葉で意思表示出来るようになっていました。しかし、これもまたYES/NOで答えられる質問にしか対応できません。当時の先生にはきっと大変な苦労を強いてしまっていたことでしょう。

年長組の時には夏ごろにお泊り会という行事がありました。これには両親も大変心配したそうなのですが、僕自身は当時の心境は思い出せません。

覚えているのはクラスの中で最も早く寝たらしいということ、そして一番最後に起きた(寝坊)ということ、起床後クラス全員で近所の公園に散歩に行くと決まっており「○○くんも行く?どうする?」と先生に聞かれて首を縦に振ったということです。

年長組での行事といえば、冬には「聖劇」を行いました。僕は宿屋の主人Bという役だったのですが、「必要とされる決められた言葉」は問題なく発することが出来たので、難なくこの劇も乗り切りました。

他にも覚えていることはありますが、園内の生活に関しては長くなりそうなのでこの辺にしておきます。

園外では割と喋れていた?

これは特に年長組になってからなのですが、園内と異なり、園の門を出ると同じ幼稚園の子とも割と話せていたような気がします。

通っていた幼稚園は住んでいる地域によってバス通学組と徒歩通学組に分かれており、僕は後者でした。ほとんどがバス通学で徒歩通学の子は少なかったため、同じ徒歩通学の子とは比較的仲良くなっていました。

周りにいる人数の違い(園内にはたくさんの子や先生がいるけど園外ではその子とその親だけ)のためか緊張感や不安感が小さいものになっていたのかもしれません。

ただ、園外ではそこまで話せないわけではなかったが故に、場面緘黙が見過ごされてしまったのではないかという思いも今ではあります。

習い事の音楽教室が大嫌いだった

最後に、幼稚園とは別に通っていた音楽教室の話をします。僕としては4歳の時の音楽教室に関する記憶が幼児期で最も嫌なものになっています。

そもそもその音楽教室とはどんなものなのかというと、同年齢の子ども十数人からなるクラス(親も教室内にいる)において、みんなで歌ったり踊ったりしましょうというものです。「どれみふぁそーらふぁみっれっどー♪」とCMでやっていたアレです。

僕はこの音楽教室でも入園式の時と同じように母親の元をなかなか離れられませんでした。それだけではありません。皆が歌ったり踊ったりしている中、僕だけ歌えない・踊れないということが毎回続きました。体が固まって動かなかったのです。

音楽教室のクラスメイトはこの教室の時間にだけ集まるという点で幼稚園のそれとは全く別物でした。そのために不安感や緊張感がすごかったのかもしれません。しかし、そんなことは当時の僕自身も分かっていませんでしたし、親はなおさらです。

親には「恥ずかしい」という気持ちがあったのでしょう。毎回帰りの車の中でひどく怒られたのを覚えています。「他の子はみんな出来ているのになんで出来ないの!」という言葉は何回も聞きました。「そんなのうちの子じゃない」なんてこともよく言われました。

また、家に入れてもらえないことも多々ありました。そういう時はチャイムを鳴らして何度も謝り、次回はちゃんと歌ったり踊ったりするとを訴えてドアを開けてもらってました。しかし、そう約束してもいざ教室に行くと全く出来ませんでした。

そうするとまた激しく怒られ、家に入ろうとしても追い出されました。当時はアパートの2階に住んでいたのですが、いっそ飛び降りて怪我をすれば心配して開けてくれるんじゃないかとか思っていました。

結局そんな勇気はなく、わざと咳こんで”風邪をひきそうアピール”をして入れてもらっていたんですけどね。

しかしまあ4歳の時の出来事を今でも鮮明に覚えているんですから、当時の僕はよほどショックを受けたのでしょう。

おわりに

長くなってしまったのでそろそろ終わりにします。

今回は幼稚園児時代について振り返ってみましたが、当時の僕に「なぜ他の子のように話せないのか・なぜ幼稚園で出来ることが音楽教室で出来ないのか」ということは理解出来ませんでした。それどころか「なぜ出来ないんだろう」と考えることさえ出来ませんでした。

その本人にも分からないという点が、(特定の場面以外では話せるという点に加えて)親をはじめとする周囲の大人の理解を難しくしている要因なのかもしれません。

さて、次回は小学校入学から卒業までの時期について書く予定です。良かったらそちらもご覧ください。

▼書きました
自由に話せるって楽しい。緘黙が治った小学校時代を振り返る。

この記事を書いた人

エヌジマ

エヌジマ

三十路の唐変木。学校など特定の社会的状況で話せなくなる場面緘黙(ばめんかんもく)を過去に経験。現在も雑談は大の苦手で、時に緘黙の症状が出ることも。このブログでは自分の日常や「紹介したい!」と思ったものを中心にいろいろ書いています。