【緘黙】「あって言って」のジレンマ

「”あ”って言って」と言われること。”緘黙あるあるTOP10″があったとしたらランクインするだろうと個人的に思っています。

僕自身過去に何度も言われた経験があるのですが、少し喋れる程度の緘黙だとジレンマに陥るんですよね。

「”あ”って言ってみて」と言われた時には、単純に”答える/答えない”の2つの選択肢があります。僕は教科書読みをはじめとして少しは喋れたので、どちらの選択肢を選ぶことも出来るわけです。

しかし、その選択には頭を悩ませることになります。
どういうことかというと、まず”答える”場合、つまり「あ」と返答する場合を考えてみましょう。

僕は大抵「あ」と素直に答えていたのですが、単純に「(普段は喋らないくせに)喋ろうと思えば喋れるんじゃん」と思われてしまうんですよね。

当然、実際は「喋ろうと思っても喋れない」ので誤解なんですが、周りからすればそんなことは分からないんですよね。

そのため、「本当は喋れるんでしょ?なんで喋らないの?」なんてこともよく言われてしまいました。

また、答えると「”い”って言って」「”う”って言って」とどんどんエスカレートしていくんですよね。「”あ”って言って」だけならまだしも、こう続くと明らかにバカにしてるんだなというのが感じ取れます。

そうそう、こないだ『私はかんもくガール: しゃべりたいのにしゃべれない 場面緘黙症のなんかおかしな日常』という本を読んだのですが、著者の方も全く同じ経験をしていました。

こんな風に、答えてしまうと誤解を増長させうるし、結果さらに変な目で見られたりバカにされたりしてしまうのです。

じゃあ答えなければいいじゃんと思われるかもしれませんが、それも難しいんですよね。

何も答えなければ、それはそれで「なんで無視するの?」「やっぱりこの人何も喋らない人なんだ」と誤解されてしまいます

特に後者の誤解は厄介で、ますます喋れるようになるのが困難になる可能性があります。

これは個人的な経験談ですが、周りから「喋らないキャラ」とみなされるとそこからの脱却はなかなか難しいものがありますし、話しかけてくれる同級生がいても「そいつ喋らないから話しかけても無駄だよ」と周りから言われることがありました。

そうそう、僕が「あ」と答えないでいる時のことです。

返答しないのを知った上で「”あ”って言って」と要求し、何も答えない僕を見て「なになに怒ってんのー?(ケラケラ」「”あ”も言えないくせに生きてて楽しいのかよ(ケラケラ」と言ってバカにしてくる人もいましたね。

結局、答えなくても誤解を増長させうるし、結果さらに変な目で見られたりバカにされたりしてしまうのです

ここまで見てきたように答えても答えなくても結局……というところがあるのですが、最初の方でも言ってるように大抵「あ」と僕は答えていました。

それには自分自身に嘘を付くのが嫌というかなんというか、そんな内部の葛藤が理由としてありました。

そもそも「あ」って答えることそれ自体は、緘動の症状が出なければ特に問題なく出来るわけです。また、学校で喋れない自分が嫌だったし、本当の自分は喋れるんだという強い思いもありました。

そのため、答えないことを選ぶのは、学校で喋れない自分を自分で認めてしまうような気がしてしまったのです。共感は得られないかもしれませんが、当時の僕にはそのような思いから「あ」と答えていました。

ネット上の書き込み等から察するに、当時から15年経った今でも「”あ”って言って」と言われてしまう子は存在しているようです。

以前より場面緘黙への理解は進んでいるのでしょうが、今後より理解が進むのを期待したいところです。

この記事を書いた人

エヌジマ

エヌジマ

三十路の唐変木。学校など特定の社会的状況で話せなくなる場面緘黙(ばめんかんもく)を過去に経験。現在も雑談は大の苦手で、時に緘黙の症状が出ることも。このブログでは自分の日常や「紹介したい!」と思ったものを中心にいろいろ書いています。詳しくは当ブログについてをご覧ください。また、お問い合わせはこちらのフォームからどうぞ。