子供の頃、親に運動会に来てほしくなかった理由。

さっきテレビを見ていたところ、カメラ?のCMで運動会シーンがあり、「そういえば、小・中学生の頃は運動会に親が来るの嫌だったなあ。」と昔のことを思い出しました。

元々、運動会それ自体は好きだったんですよ。体を動かすのが好きだったんですね。親の話によると、幼い頃は公園に行くとずっと走っているような子どもだったそうです。それくらい好きなんですね。

ただ、親が応援に来るのはかなり嫌だったんですよ。

この「親に来てほしくない」という気持ちは、僕に限らず結構な数の子供が持っているようで、ネット上にはそれに悩まされる親の書き込みがよく見受けられます。

中学生の息子が運動会に来て欲しくないと言います。男子中学生ってそんなもんでしょうか?皆さんなら行きますか?息子は真面目なタイプでまだ反抗期ではありません。特別運動が苦手でもないです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10113684995より

こういった悩み相談に対しては「同級生といるところ(家庭外の様子)を親に見られるのが恥ずかしいのだろう」、「親と話しているのを同級生に見られるのが恥ずかしいのだろう」という回答が大抵寄せられます。

実際、親に運動会を見に来てほしくないと考えていた人のほとんどは、その理由として「恥ずかしさ」を挙げるのではないでしょうか。

しかし、場面緘黙だった僕にとっては「恥ずかしさ」ではなく「怖さ」がその理由となっていたのです。

同級生に親と話している姿を見られるのが恐怖だったのです。学校では「普通」に話すことが出来なかった僕が家族とは話している。それを見られて「なんだ喋れるんじゃん。なんで学校では喋らないの?」と思われるのが恐かったというわけです。

事実、親に話しかけられることがない学芸会(学習発表会)なんかは問題ありませんでした。劇や合奏をするだけで、親との接触がないですからね。上記のような心配をする必要がなかったのです。

しかしまあ、不思議に思います。家族と話している姿を見られるのが怖いという感覚は。

学校でも家と同じように話せるようになりたいと願っているのならば、むしろ同級生にその姿を見られた方が好都合ではないかと思えますよね。皆がいる環境で家族と「普通」に話せたのだから、同じように同級生と話せばいいのではないか、と。

ところが、そう単純なものではないんですよね。
結局、家にいる時のように話すことは出来ないのです。

自由に話せるようになりたいのに、自由に話している姿を見られるのは怖い。

この矛盾する感覚はいったい何なんでしょうか。未だに謎です。

この記事を書いた人

エヌジマ

エヌジマ

三十路の唐変木。学校など特定の社会的状況で話せなくなる場面緘黙(ばめんかんもく)を過去に経験。現在も雑談は大の苦手で、時に緘黙の症状が出ることも。このブログでは自分の日常や「紹介したい!」と思ったものを中心にいろいろ書いています。詳しくは当ブログについてをご覧ください。また、お問い合わせはこちらのフォームからどうぞ。